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logic 論理

論理学と哲学

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積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の一般的な解釈

自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度 積極的ニヒリズムなどと言われますが、本来はポジティブもネガティブもありません。そんなものがあったら「虚無」ではありませんね。 積極/消極、受動/能動という概念すら「虚無」のはずです。虚無はどこに行ったのでしょうか。

積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の一般的な解釈の例

積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の一般的な解釈である「すべてが無価値だというのなら、自ら積極的に仮象を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度がいい」ということを、普通に解釈すると変な方向に向かいます。積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の一般的な解釈の例

積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の「より具体的」な解釈


積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の一般的な解釈は、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度、とういうことになっていますが、それをどの視点から解釈するかによって、内容が著しく変わってきます。積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)の「より具体的」な解釈
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ルサンチマンに利用される対象

ルサンチマンを持つ人は想像上の復讐によって自尊心の埋め合わせをつけるような人であり、アイドルを仕立てあげて、殉教することに自惚れる、これも弱者の怨恨であるルサンチマンの表れです。誰かすごそうな人や団体と同化し、その人の意志のようなものに適うことが正しいとする解釈変更です。奴隷精神の最たるものですが、ルサンチマンに利用される対象は、ヒーローやアイドル、美化された愛社精神も含まれます。
社会的な弱者はルサンチマンとして社会的な価値観を否定したり、反転した解釈を行い、自分の陥っている状態を正当化しようとします。その奴隷精神、解釈変更がルサンチマンです。

ルサンチマン(ressentiment)

弱者による強者に対する怨恨=ルサンチマン。一般的には経済的、社会的弱者をさします。ルサンチマンを「怨恨」という風に捉えるのは、短絡的すぎます。ただの恨みや僻み、という面より、恨みの感情をどう処理するか、という思考面での方法論です。ルサンチマンは、復讐というより、解釈変更です。価値基準をオリジナルにしてしまう、というものです。
一般的な定義である「弱者による強者に対する怨恨」というよりは奴隷精神による、価値の解釈変更であり、自尊心の充足の方法論です。感情よりも思考的な解消法であり、想像上の復讐という風に説明されたりもしますが、復讐というより、自己完結です。


原因や結果や現実

 原因、結果、現実、これらを軽蔑して、何か別のものと関連させようとするのはトンチンカンです。関連して納得しようとするのはあいつの働きですから、即時的にそれで終わり、何も考えないくらいでちょうどいい、といったようなところでしょうか。原因や結果や現実の軽蔑

時間と主観 客観の誤謬

主観と客観というふうに、ひとまず私から見た場合、外から見た場合、というように分けて考えるような手法は、「人に説明する場合」に限って意味をなしうるだけで、本来的に主観しかない。ということは主観も客観もない。しかしながら、いわば客観というのは「説明のための仮止め」にしか過ぎないはずだが、いつしか客観を軸に物事が語られるようになった。 確実に「存在するもの」として、時間は絶対にある、というような事を聞くが、そんなことは「対外的」に証明することもできなければ、何かしらの観測結果がその証拠となり得ることもない。時間と主観

        
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