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論理学と哲学
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自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度 積極的ニヒリズムなどと言われますが、本来はポジティブもネガティブもありません。そんなものがあったら「虚無」ではありませんね。 積極/消極、受動/能動という概念すら「虚無」のはずです。虚無はどこに行ったのでしょうか。
原因、結果、現実、これらを軽蔑して、何か別のものと関連させようとするのはトンチンカンです。関連して納得しようとするのはあいつの働きですから、即時的にそれで終わり、何も考えないくらいでちょうどいい、といったようなところでしょうか。原因や結果や現実の軽蔑
主観と客観というふうに、ひとまず私から見た場合、外から見た場合、というように分けて考えるような手法は、「人に説明する場合」に限って意味をなしうるだけで、本来的に主観しかない。ということは主観も客観もない。しかしながら、いわば客観というのは「説明のための仮止め」にしか過ぎないはずだが、いつしか客観を軸に物事が語られるようになった。 確実に「存在するもの」として、時間は絶対にある、というような事を聞くが、そんなことは「対外的」に証明することもできなければ、何かしらの観測結果がその証拠となり得ることもない。時間と主観