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logic 論理

論理学と哲学

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ルサンチマンに酔う人

本来ルサンチマンは思考上の解釈変更であって、怨恨感情そのものではない。怨恨感情は思考の結末として起こる反応であり、そうして起こった感情を解消する思考がルサンチマンだ。
そうしたルサンチマンの概念をまるで厭世主義的に自分に酔いつつドツボにはまる人がたまにいる。

ルサンチマン(ressentiment)


諸行無常と時間

諸行無常の意味としては、「すべての現象は移ろいでいく」ということ。端的には永久不変なものはないということであるが、では時間を捉えるときにはどうなのか?
それは自分が変化しているからこそ時間という概念が生まれるということだ。

諸行無常の定義

自由意志論と社会の帰責

自由意志論は、社会の帰属、帰責の問題とつながってくる。決定論と自由意志の関係を見ると、社会における責任関係がややこしくなるからだ。
自由意志があるのか、自由意志がないのか、それによって社会における責任問題が生じてくる。
決定論は、すべての出来事はそれに先行する出来事によって完全に決定されているという主張。そしてカントはその決定論を支持した。
決定論から自由意志を検討すると、人間に自由意志はないということになる。そうなると、自由意志で行為したというわけではないので、すべての人間の行為に責任がなくなってくる。そうなると契約も犯罪を裁くこともできなくなる。その答えは社会における非決定論、帰責への検討だ。

自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く

諸行無常の定義

諸行無常の定義について。諸法無我,涅槃寂静とともに仏教の三法印のひとつである。
平家物語によって、諸行無常は広く知られている。
平家物語の冒頭
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらわす

また、「いろは歌」の冒頭部分の「いろはにほへとちりぬるを」も諸行無常を示している。

諸行無常の意味

諸行無常の意味としては、「すべての現象は移ろいでいく」ということ。端的には永久不変なものはないということ。
諸行無常は、この世のすべては本質も含め常に流動変化し、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないというもの。因縁という直接的原因・間接的原因・条件によってつくりだされた現象は、一瞬で流れていくというもの。
「涅槃経」の、諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽の四句を「諸行無常偈」という。
諸行は因と縁によって生ずる全ての現象であり、無常は固定的ではないということ。
諸行無常 仏教には刹那という考え方があり、一瞬の間にもものごとが変化していき、この世の中にある全ての事象・現象は、移り変わり行くものであり、同じ状態のまま留まるものはない。これが諸行無常である。

煩悩の定義

煩悩の定義は、人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望,他者への怒り,仮の実在への執着など。心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。煩悩とは一体何でしょうか?煩悩の解消というと、欲があってそれを解決するには、欲を無くすか、欲の対象を叶えるかというような面で語られます。仏教の目的はたったひとつ。「煩悩による苦」の消滅です。
煩悩は、根本煩悩と枝末煩悩との2種に分類されます。
煩悩は欲と怒りと迷いで構成されています。欲=対象が自分の安心感や満足感、幸福感の条件として不足している=渇望感
怒り=対象が自分の安心感や満足感、幸福感の条件として、不必要ながら余分に存在している=不快感
という感じです。
煩悩

仏教では人間の生存を苦であると説き、その根源は煩悩にあると説きます。

過去は変えられないが、未来は変えられる の論理の矛盾。

過去は変えられないが、未来は変えられる の論理の矛盾。「未来」が確定していないのに「変えられる」のはおかしい。論理が矛盾して破綻している。「過去は変えられないが、未来は変えられる」という言う場合、過去の経験から未来を予測し想像しているからこそ、「変えられる」といいたがっているのだと思う。

「過去は変えられないが、未来は変えられる」は根本的に論理が破綻している


批判への批判としての「ルサンチマン」の利用

優越感を刺激するものに対する批判への批判としてルサンチマンが使われたりします。つまり弱者の怨恨であり、「僻みだ」と居直るようなことです。そういった使われ方もあたっていることはあります。ただ、これは水掛け論であり、「見栄の塊だ」という批判への反論が「僻みだ」というのも、構造上決着がつきません。
「優越感を刺激するもの」を「非難すること」は「僻み」なのかという点と、その優越感を非難する基準はどうやって決まっているのかという点はあまり語られません。 批判への批判としての「ルサンチマン」の利用 ルサンチマンについては ルサンチマン

        
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